モッシァレうチーズ

東京下町で働く58歳フェイスタオル職人・銀蔵の旅日記

GInzonable Life(特例)—朝田昌貴

今回は特別版。この物まねは傑作でした。

85歳以降くらいの田谷先生をデフォルメしてよくまねられたと思いました。田谷先生の80歳代の映像がyoutubeに見当たらないので、77歳当時の映像を出してみますが、なんとなく感じはつかめると思います。

80歳代に入られると眼鏡も掛けておられたし、音を伸ばすときシャープがかけるような感じもあり、非常に完成度の高いものまねだと思います。

驚くのは、このものまねは田谷先生の没後に行われており、会場のかなりの人は田谷先生を知らないはずなのですが、それでも大爆笑を取っています。

田谷先生は晩年、おにゃん子クラブにもレギュラー出演されていましたし、こうしたバラエティショーには理解があると思います。

Ginzonable Life—巴里の屋根の下

1930年に同名映画の主題歌として発表された曲。パリの橋の下(1914年)、巴里の空の下(1951年)と並んでパリ三部作と日本で紹介された時期もありましたが、実際には年代がそれぞれ違います。

パリの橋の下は、日本でこの人の持ち歌、という感じに持って行った例はない気がします。

パリの屋根の下は、昭和6年(1931年)に田谷力三先生がレコード発売され、大ヒットしました。日本ではやはり、田谷先生の持ち歌という位置づけではないでしょうか。その後、淡谷のり子さんや、多数のシャンソン歌手が植わったわけですが…。

youtubeには、田谷先生のオリジナルがアップされています。江戸っ子ぽい歌い回しで、それがパリの下町風情をうまく日本風に変換して伝えていて、売れるはずだと思います。

なんと映画そのものもアップされています。

1986年の淡谷のり子ライブもあります。これはまた独特の解釈で感服するばかり。

パリの橋の下はこれがオリジナルではないでしょうか。Lucienne Delyle。

パリの空の下はJuliette Greco。アップされているのは映画ではなく、60年代のライブのようです。曲調が戦後ですね。

話を戻すと、田谷先生は89歳、なくなる2週間前まで舞台に立たれました。なくなったときのテレビニュースでは、昔の映像ではなく、その最後の舞台が映像として流れて、いたく感激したことを覚えております。59歳から89歳まで、30年ありますね。60歳以上は職場の金では仕事できませんから、自分で何とかしないと…。

Ginzonable Life—さよならルンバ

さよならルンバは昭和23年発売ですので戦後歌謡ということになりますが。二葉あき子さんは90歳近くまでお元気で舞台に立たれていたので、各時代の映像がアップされています。

まずはオリジナル。33歳の歌声ということになるでしょうか。

こ~の~(タメ)まま~というはじけるような出だしも若いし、聴きあきません。

 

このあと、40代、50代の歌声が見当たりません。これはほかの歌手についても同様ですね…。

映像で出てくるのは、1981年、66歳当時の舞台です。この当時はあまり、体を動かさないで、重い感じの謡いになっています。

 

そして1983年、68歳当時。81年とは大分感じが変わっています。このころからふりが入ってきたのでしょうか…。

 

そのあと、1989年、74歳の舞台。映像で残っているものでは、これが一番気に入っております。ずいぶんアップテンポになって、楽しげな謡いになっています。70歳代後半から80歳ごろの舞台は、楽しんで歌っておられる様子があって、どれも大好きです。

 

そして、1999年、84歳。これはいいおばあちゃんキャラがどんどん出てきて、年齢に合わせた歌いっぷりというのはこういうものだと感じ入るばかりです。

 

そして、Youtubeにある最後の舞台、2002年、87歳。さすがに歳を取られています。が、この段階になると、もう二葉さんのこれまでの舞台をずっと見てきて、その延長で見ている観客が多いでしょうから・・・。出だしひやひやしますが、楽団も協力して、後半にはすっかり盛り上げてしまうところはすごいです。

 

二葉さんの戦前の映像も、実はYoutubeにあります。バラのルムバです。戦前から結構、ふっくらされています。

 

Ginzonable Life—なんだ空襲

昭和16年(1941年)発売の山田耕筰作品。こういうのもあるんですね、と最初聴いたときは、山田耕筰の幅広さに改めて感じ入った次第です。

まずはコロムビア盤。出だしから「警報だ~空襲だ~」と斉唱で来るところがさすが。いろいろ前置きをつけないところが、オペラ作品を思わせるところもあり。そのあと、霧島昇さんや松原操さん、二葉あき子さんが次々にソロ。編曲者をしりたいと思っていろいろググってみましたが出てきません。

 

続いてビクター盤。こちらは徳山璉さんの独唱から入っています。後半にはこどもの合唱も。結構のんびりした感じですが、昭和16年はまだ絨毯爆撃を想定していないのでは、との書き込みに納得しました。

 

Ginzonable life—ルンバのタンバ

淡谷のり子さんの1938年昭和13年)のヒット曲。この時期にルンバが日本に紹介されたようです。

スローテンポで、踊れるように歌っている感じ。自信に満ちた淡谷さんの唄。

晩年の謡いは、見た記憶がありません。

 

Ginzonable Life—女給の唄

羽衣歌子さんの代表曲「女給の唄」、昭和6年(1931年)発売。

いまどきのパソコンは「じょきゅう」と打っても変換できませんが・・・・。

「わたしゃ悲しい 酒場の花よ 夜は乙女よ 昼間は母よ」というフレーズがなんともいいです。悲しいと言いながら、羽衣さんはにこにこして歌っている。

羽衣歌子さんはずっとソプラノ独唱といった感じの歌い方を貫いた人で、まるきりクラシック調で朗々と歌っています。その傾向は、晩年ほど強くなっていった感じがします。

オリジナル原盤では、結構単調な感じで歌っているのです。

 

コミカルに編曲したつもりなのだと思います。

1975年、舞台活動の最晩年のテレビ映像では、もっとずっと練りあがっています。後半になるともう、確信犯的に伴奏を度外視して独特のリズムをとって、伴奏に合わせさせている感じが、なんとも良いです。

 

1971年の映像は、75年ほど自由奔放でもありませんが、途中で歌詞を忘れてそのままオンエア。でも、羽衣さんだと気にならないです。そんなことはどうでもいい、気持良い感じ。

結構笑えてしまうのは、田谷力三さんと羽衣さんのデュエットで「美しき天然」。羽衣さんが独自の展開をみせているのを、田谷さんがなんとか伴奏に合わせようとして、最後はどんどん盛り上がってしまうという・・・これも楽しいです。

ところで、例の食堂に昼ごろいくと、羽衣さんそっくりの店員さんがおられて、女給の唄を歌いだすんじないか、といつもドキドキしております。

Ginzonable Life—オミレソーオ

関屋敏子さん歌唱の「オーソレミオ」

伊庭孝の和訳で、1930年(昭和5年)発売。

これは何度聞いても飽きません。リズムの取り方が絶妙・・・・。

ウィキによると、関屋敏子さんは東京藝大に入るものの、当時の藝大はドイツ歌曲が中心で、イタリア歌曲を学んでいた関屋さんには合わず、退学して渡欧、ボローニャ大学で日本人初のディプロマ。20歳代でミラノスカラ座のプリマドンナになり、アメリカやドイツでも舞台に立った後、帰国。しかし、1941年、37歳で服毒自殺。

遺書も公開されていて。「関屋敏子は、三十八歳で今散りましても、桜の花のようにかぐわしい名は永久消える事のない今日只今だと悟りました。そして敏子の名誉を永久に保管していただき、百万年も万々年も世とともに人の心の清さを知らしむる御手本になりますよう、大日本芸術の品格を守らして下さいませ。」

イタリア録音やアメリカ録音もありますが、これは日本での録音。ほかに、ショパンの「別れの曲」を日本語歌詞で歌った録音も好きですが、今のところYoutubeにはないようです。

Ginzonable Life—「フィリピン沖の決戦」

新年度になってメンバーも入れ替わっているのでちょっと説明しますと、Ginzonable Lifeというのは、昭和歌謡、なかでも戦前の楽曲でネットに出回っているものを取り上げる企画です。

まあこれのパクリなんですが・・・・。

handaful life

こちらのほうは戦後の昭和歌謡を扱われているようです。

さて、今回は「フィリピン沖の決戦」。昭和二十年発売の報道歌謡。

昭和二十年といえば、8月15日に日本が無条件降伏するわけで、太平洋戦争の最終段階ですが、やけに朗らかで元気いっぱいな歌声なので、非常に印象に残りました。高揚感にあふれた歌で、メロディーも難しくないので朗々と歌うと酔えそうです。

作詞が藤浦洸、作曲が古関裕而というのは定番ですが、歌手が伊藤武雄さんというのが珍しい。伊藤久男さんじゃありません。

ウィキによると、東京藝大を出て、1935年(昭和10年)にデビューしたものの、日中戦争で大陸に渡り、右手を失ったとのこと。帰国して藝大の助教授になり、しかしオペラ歌手としての活動を優先して辞職。戦後は桐朋学園大学教授など。個人的には、オペラなどの日本語台本を多く手がけられたという印象があります。

といっても、オペラの歌唱を聞いたことはなくて、戦時歌謡のレコードをいくつか聞いたくらいしかありません。もう少し音源があるといいんですが。なかでは、この「フィリピン沖の決戦」が元気いっぱいで、一番好きです。オペラの舞台を拝見したかったです・・・・。

Ginzonable Life—「のぞかれた花嫁」

「のぞかれた花嫁」という昭和10年(1935年)封切の映画がありまして。

これの主題歌といわれているのがディック・ミネさん歌唱の「二人は若い」

Youtubeにアップされている1980年のライブ映像があります。このときミネさん72歳のはず。

竹下景子さんとのデュエットが楽しいです。この放送、リアルタイムで見ておりました。セクハラやりまくりともみえますが、これがミネさんの芸風ですから…。実生活でも4人の女性にたくさんの子供ができて、晩年はすべての奥さんや子供がそろっての集合写真もあったような記憶が。

ともかく、この番組見ながら、ミネ御大もすごいが竹下景子さんもすごい、と思っていました。再びこの映像見るとは。

オリジナルはミネさんと星玲子さんのデュオ。

北島三郎、都はるみ版もあり。北島三郎さんが若い! 探すといろんな組み合わせがありそうですが。

この曲には因果というものがあり、「のぞかれた花嫁」の主題歌には違いないんですが、この曲はB面収録。A面は「のぞかれた花嫁」という映画のタイトルそのままの曲で、これがメインの主題歌のはずだったのが、「歌詞甘きに失し」とのことで発売禁止処分になり、B面の「二人は若い」がメインになったということです。今聴いてみると「甘きに失し」というよりは下町っぽい感じですが。

Ginzonable Life—雨の夜の花(渡辺はま子ヴァージョン)

台湾の歌のようで、日本人の歌唱では渡辺はま子さんの録音がアップされています。

中国人の歌唱に比べるとすっきりとまとめられていて、日本人ならではの寂寥感があります。はま子さんの場合はクラシック仕様とも言えますが。

「明日はこの雨やむかもしれぬ 散るを急ぐなかわいい花よ」

という中盤のフレーズが印象的

中国系のアレンジだとこうなります。スラーかかりまくり、こりゃ演歌ですね。同じ曲でこうも違うとは。

中国語の歌詞と解説はこちらのサイトがよくまとめられています。

こういうアレンジが好きなら、中国で就職すると少しはましな人生になるかも…。

Ginzonable Life—テイク違い

う~~~ん、Youtubeもここまで進化したか!

以前も取り上げた藤山一郎歌唱の昭和11年「東京ラプソディ」。

いわゆるオリジナル原盤、SPレコードのテイチク赤盤を取り上げているんですが、これがなんと2種類あるというのです。テイク1とテイク2。これはおそらく、別の録音が市場に出回っているという意味でしょう。

この時代は録音のためのマスターが貴重であったため、一般的には録音は一発勝負で、不出来でも録り直しはしない、というのが原則のはず。しかし、藤山一郎クラスだとそうでもなかったのかも…。

詳細わからないところもありますが、いずれにしろ、まったく同じに見えるレコードに実は2種類あるといってアップする御仁が現れたというわけで、Youtube恐るべし。

若い人ならともかく、昭和11年のレコードを分析するなんて、それなりの年齢の人でしょうし…。

テイク1

テイク2

Ginzonable Life—藤田まことさんを偲ぶ

藤田まことさん逝去。仕事人あり、はぐれ刑事あり、映像資料も多数ですが、いろいろ思い返してみると、CMの藤田さんというのも、一つの確立されたイメージだった気がします。「養命酒」なんかは印象深かったので検索してみると、ひとつヒットしたんですがあまり記憶にないバージョンでした。ムヒのが3年分編集してアップされていたので、取り上げてみます。 80年代ですから、おおむね25年くらい前のコメディの感性ですね。

Ginzonable Life—若しも月給が上がったら

林伊佐緒さんの「若しも月給が上がったら」。晩年までお元気で親父っぷりを発揮されていて、以前はこの親父っぷりが嫌いだったんですが、最近はこのダンディズムがわかる気がしてきました。「若しも月給が上がったら」は昭和12年発売の軽い歌謡曲。こういう軽やかなのも歌い、「出征兵士を送る歌」も朗々と歌い、「ダンスパーティの夜」もエロく歌い、昭和のお父さんを演じきった方だったと、自分がこの歳になってつくづく感じます。まずは、おそらく昭和51年ごろのテレビ映像。マイクの使い方も参考になります。

オリジナル原盤はこちら。キーが高くて、若いお父さん。

ま、これを聴いていいと感じるようだと、いい歳なんでしょうね。

ウィキに載っている写真はこれ。

Ginzonable Life—お祖父さんの時計(ミミー宮島version)

お祖父さんの時計、または大きな古時計、原題はMy Grandfather’s Clockというのは、ウィキによると日本では3回流行っているようです。最近のは平井堅さんのこれ。2002年発売。

その前は1962年のNHK「みんなのうた」。これはYoutubeでは見つかりませんでした。検索すると何件か出るのですが、いずれもだいぶん新しい音源で、放映されたもので、1962年のものはないようです。

日本で最初に発売されたのは1940年(昭和15年)、ミミー宮島が歌っています。歌詞が今とは全然違っていて、門田ゆたか作詞(訳詞ではない)、ジャズらしい、ダンスミュージックらしいアレンジで、タップダンスも入っています。これは現代日本人の考えているイメージとは大違い。

そして、米国のはないかと思って検索してみると、 これは難しい。作曲が1876年と19世紀ですので・・・。日本に戦前に入ってきたとき、楽譜だったのか、レコードもだったのか。